1話完結
神と生贄(巨人♂、人間♀)
「怖がらなくていい。何もしない」
生温くて上下する床の上で、遠近法が狂ったように大きな顔が見下ろしてくる。
獣のような、目。
え。コレは何?
夢なら醒めろ、と彼女は自分の頬を引っ張りつねる。
そんな様子を目を瞬かせてから苦笑交じりに見下ろし続ける顔。
痛い。痛い。
ということは、現実?
「……どうやってここまで来たか覚えてるか?」
「……え……と」
ぼんやりと彼女は思考をめぐらせる。
自分の村ではちょっとした言い伝えがあり。
生贄を何年かに一度差し出す風習があった。
ちょうど今回、その年で。
自分はそれに選ばれて、簡素な服で禊ぎをしていて……あれ?
その後が、思い出せない。
不思議そうに頭を抱える彼女の様子を見て、そのまま巨大な男は困ったように小首を傾げる。
「……お前。クレイルの生まれか?」
「え、あ。は、はい!」
「なるほど……俺がうたた寝してる間にもうそんなに時間が立っていたか……」
顔を横に向けてため息を吐き出す。
その瞬間に床が深く沈めば、彼女は自分が座っている場所は彼の上なのだとようやっと理解した。
「生贄、か」
「……は、い……あ、あの……もし、かして……」
「……」
自分の出自の村の名前を出された彼女の問いかけに近しい言葉に、彼は。
首を僅かに傾がせてから上体を起こすように肘を地面につけて。
そのせいで床が斜めになり、バランスを保てず後ろに転がりかけた自分の上にいる小さな彼女に手を添えてそれを防ぐ。
彼女はそれに目を白黒させながらも、自分で身体を支えるように両腕を前後につければ、彼を再び見上げる。
「……アナタが……神様、でしょうか……?」
「……そうだな……一応、ここの神だ。こんな格好だが」
今時なシャツを視線で示し、苦笑する男……神。
ということは、と彼女は顔を若干強張らせる。
「……私を、食べちゃうんですよね……?」
「は?」
彼女の言葉に、きょとんとした様子で神は瞳を見開いた。
そんな彼に、彼女はぎょっとして。
「え……えぇぇ!?
は?って何ですか!?なんなんですか!?」
「いや……食べる……とは……?
俺が、お前を、食べる?いや、確かに食べやすい大きさではあるが」
なんとなく怖いことをあっさりと言いながらも、神は思案する。
暫く奇妙な空白の間が続いて、彼は一つうなずいた。
「なるほど時間がたつにつれて変な風に解釈されたな……?
別に俺は、物を食わなくても生きていける。神だから」
「え?」
思わぬ言葉に、今度は彼女がきょとんとする。
そんな彼女に手を添えるように近づけているまま、巨大な神は一人だけすっきりした顔で笑みを浮かべていた。
「生贄を要求したのは俺がまだガキの頃か」
「……神様にも、幼少期とかあるんですか……?」
「そりゃ、あるぞ?神だって生きてる。巨大ゆえ下界に影響を及ぼさないように霞……空気や草木、澄んだ水、そんな物の自然的なオーラを吸収するだけで生きていけるようになっているからな。
人間のように産みはしても物を与えたりすることはない」
「はぁ……」
いきなりな解説に唖然とする彼女を見下ろして、彼は真面目な顔になった。
その差に、思わずまた身を硬くする。
「生贄を要求した理由は、寂しかったからだ」
「はい?」
「ガキの頃の俺は寂しがり屋でな……恥ずかしい話、話し相手がほしくて一人寄越すように頼んでいた。
まぁ、死ぬまで傍に置いて村に戻した覚えは一回もないが……食い殺しているわけではない」
村人を帰さない。
まぁ、帰ってこなかったなら食べられたと思うのは、小心者の人間ならではの思考である。
それならば、と彼女は神を見上げた。
「……じゃぁ、私は……どうなるんでしょう?」
「まぁ……今更返しても、前例のないことだから人間は逆に恐怖してお前を殺す確率が高いな」
「そうですね、良くお分かりで」
「神だからな」
事実を述べるように威張ることなく淡々と言われると突っ込む気も失せて。
脱力した彼女の身体を、巨大な指が背もたれのように受け止める。
「それもそれで後味が悪い。また別の奴を送られてきても困るしな……」
仕方ない、と彼は息を吐き出す。
生温い吐息が彼女の身体を撫でた。
「お前、名前は?」
「……メリル、です」
「そうか、メリル……悪いが、死ぬまでここにいてもらう……まだ先のある満ち溢れた年頃なのにな。すまない」
「少し年上くらいの外観のヒトにお爺さんクサイこと言われてどう反応しろと」
「意外といい反応をする……まぁ、許せ。神だからな。これでももう何千年と生きている。
今日のように生贄が落ちてくるまで寝てるときもあるから、年齢なぞ覚えてないがな」
「あの、一ついいでしょうか」
「なんだ?」
「人間は老い先短いですよ」
「知っている……だからできるだけ互いが楽しめるようにと最善は尽くしている。
亡くなった後、その身体を無碍に扱ったりもしたことはない。
俺は人間が好きだからな。人間狂い、というわけではないが」
真剣な応対に、メリルはバランスを取り真っ向から、同じように真剣に神を見上げる。
「じゃぁ、名前教えてください!神様の!!」
「……なに?」
「だって、私まだ10代です。あとおよそ80年近くはきっと神様の傍にいるんです。
そんなに長い時間で、ずっと神様神様っていって距離を置くのも、おかしいじゃないですか。
そんなんで本当に、お互いが楽しめますか?お互いに気を使うだけじゃないですか?
神様だから、人間だからって」
メリルの言葉に、神が瞳を見開いた。
自分の身体の上に乗って、片手で握り締められるくらい小さな人間の少女。
こんな人間は今までの生贄の中でいただろうか。
きっと、いない。
いなかった、はずだ。
ずっと彼自身が気にしていたことだった。
生贄としてやってくるのは少女ばかりで。
全てが自分を見上げて恐れおののき、声を掛ければ是しか示さず。
実際、その生贄たちや彼自身、本気で会話を楽しんでいたかと聞かれれば。
あっさり楽しい時間だった、と言えるほどの物でも確かになかった。
どこかで、一線溝を互いに引いて。
結局は神である彼が好き勝手に扱っていただけに過ぎない。
意思のある、何でも言うことを聞く人形でつたない一人遊びを遊んでいるだけだ。
しかしこの少女は、メリルは違う。
「えっと……あの、ちょっと、図々し過ぎました……か?」
瞳を見開いたままメリルを凝視し続けていた彼は、不安げな顔と声を見て、聞いてハッと我に返る。
思案から、過去のことから抜け出して、それでもなお不思議な物を見るかのようにメリルを見下ろし続ける。
「……お、怒っちゃいました……?」
不安そうな声に、本気でどうすればよいかとおろおろする様はどんな人間でも変わらないなと感じながらも、彼は首を横に振っていた。
「少し驚いていた……そんな風に俺と真剣に向き合う贄は……人間は、今までいなかったからな」
「へ?」
「お前は始めての人間だ。自我のある、本当の人間がやっと来た……
こんなチャンスは、まだ長い時間の中でもきっとないな」
何処か嬉しそうにメリルを見つめてそういう神に、メリルはどういうことだろうかと思案するが、大きな手に両側から包まれるように持ち上げられ、本格的に上体を起こした神を見上げる。
顔が、ゆっくりと近づいて。
巨大な両の獣のような金の瞳に自分が映っているのを見つめた。
神は、自分の手の中にいる小さな人間を見つめ続ける。
嬉しそうに、瞳が細められた。
「この状態でも、俺は今とても楽しいな」
「……私は何がなんだかわからなくて、楽しめてませんけど……!
本当の人間ってなんですか?前の人達も人間のはずなんですけど……!?」
「お前に比べたらあれは人間ではないな」
「どういう意味ですかそれ!?」
「気にするな、気にするな。メリル」
「ごまかさないでください!」
「俺の名前だが」
楽しそうな顔から紡がれるからかうような声に、メリルが真剣に言葉を返していく。
嘘偽りないその響きに、本当に心のそこから久方ぶりに神は喜んでいた。
名前、という単語を出した途端に静かに続きを待つ少女を見下ろし続ける。
「……○×□△▼◎」
「はい?」
「わからんだろう?」
楽しそうに、しかし困ったようにクスクスと笑う巨大な相手を見上げてぽかんとするメリル。
「え。何ですか今の。風音みたいな」
「俺の名前だ」
「いえませんし聞き取れませんあんなの!!」
「しょうがないだろう。神はもともと下界の言語とは別の言語を使ってる。
名前をここではどう言えばいいのかわからないんだ」
「そんな……」
そろそろと顔をうつむかせて落胆するメリルの背中に指先を擦らせる。
ピクッと小さな身体が震えるが、跳ね除けようとはしない。
しかしやがて、ガバッと勢い良く頭を上げて。
「だったら、私がつけますよ!神様の名前!!」
「……は」
「図々しくても何でもいいです!楽しく神様が過ごすために捧げられたならとことん、楽しみたいんです!
そのために名前はきっと不可欠ですから!!」
元気良く、突拍子もないことを言い放つメリルを見下ろして、神はまた呆然とした顔をする。
どんな名前がいいだろうか、とあーでもないこーでもないとぶつくさ言い出しながら指折り候補らしい単語を紡いでいく声を聞きながら、神はまた小さく笑った。
本当に、今までの人間とは格が違う。
「神様!神様って山の神様なんですよね?!」
「あぁ、そうなるな」
「私たちは貴方のことを、祭事の時はツチガミ様とか呼んでいたんですけど」
「……中々に、古風な」
「ちょ!年齢何千歳な神様本人が古風とか!!」
「おいておけ。それで?お前が俺につける名前は決まったのか?」
いらん突っ込みを思い切り殺して、神は楽しそうにメリルの様子を見下ろし続ける。
「大地、にちなんで……アースとか。安直ですみません」
シュンと手の中で落ち込むメリル。神は安直だがその名前を頭の中で反芻するように呟いてみて。
やがて、背中を突いて意識を自分に向けさせた。
「ぁ――神様……?あの、えと」
「……酷いな。今しがたアースとお前が別の名前をくれたではないか」
「え」
「くれたからには、その名前で呼べ。……楽しませてくれるんだろう?メリル」
文句の一つでも食らうかと覚悟していたメリルは、自分の声を遮った神……アースの言葉に目を瞬かせる。
「俺もお前にできる限りのことはしよう。俺も楽しませてやる。できるだけ」
「……アース、様」
「様もできればいらない」
「えぇ!?」
「なんだ?自分からあーだこーだ言って、結局は神だからと溝を作るか?」
「そ、そんなことしません!!」
「じゃぁ、互いに呼び捨てだ。メリル」
いいな?
片手に持ち直され、空いた手指の指先で彼から見れば楊枝のような片腕をつままれる。
メリルは、アースを見上げて少し困ったような顔をするものの。
やがて。
「わかりました。これから思いっきり二人で楽しみましょうね!アース!!」
「望むところだ……世話になる」
「こちらこそ!」
摘んでいるその指につままれていない手を添えて、笑顔で見上げて声を上げていた。
それに嬉しそうにアースは笑みをたたえて頷いて。
寂しがりな神の世話……もとい、遊び相手になった人間の少女の生活は幕を開けた。
それから過ごして行く中で。
「なぁ、メリル」
「何でしょう?」
「……その敬語は……」
「え?小さい頃からですけど……ダメ、ですか?」
「…………時折思い切りタメ口のような口調で突っ込んでくるではないか」
「な、何と言いますか……!あれは、クセみたいな物で……!」
「……善処しよう」
「ちょ!アース!!気に入らないなら頑張って直しますから!!」
「いや、それはそれでお前の個性で持ち味なのだ。無理して変える必要はない」
「カッコイイこと言ったそのすぐ後でへこまれるとそうは見えないんですけど!!!
……あぁ!!ごめんなさいごめんなさい!謝りますから!そんな風には見えませんから落ち込まないで!!」
互いの一挙一動に二人とも振り回されるようになっていたのだが、それを知るのは当人たちと山の動物たちしかいない。
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